否唯なしに。

否唯なしに。

否唯なしに。

仮想現実にはなぜ雨が降らないのか。

 不意に、

「仮想現実に雨って降ると思う?」

と訊かれた。ちょっと、面白い話題だなあ、とか思いながら、少し考えて

「降らないんじゃないか、」

と答えた。命題を提示した彼女は、ふーん、といった具合に、まるで興味がなさそうに、適当な相槌を打ってから、

「まあ、再現するのは難しそうだよね。」

と嘯いた。

 

 なんでも、少し前の企業面接の時に「提示された単語を複数使って作文する」という課題が提示されたそうで、そこにあった「仮想現実」と「雨」に目が留まり、気になってしまったのだという。彼女がどんな文章を綴ったのかは聴かなかったが、要は「論点は、何の為に仮想現実を作るのか、って事だよね」とのことだった。

 

〜〜〜

 

 我々がなんとなくイメージするところの仮想現実は実用性重視、現実世界では実現不可能な事象を達成できるような、そのような物であったとして、仮にそうであるならば雨が降る事はないように思える。「雨が降る」という事象が、我々が仮想現実を生きる上で必須事項ではないように思えるからである。(面倒なのでこれ以上言及しない。)勿論、雨を必要とする場合もあるのかもしれないが、その場合は必要な場所、場面、人に対して限定的に実装され、一般的には、全体的には、実装されない気がする。いくらか先入観や偏見みたいな物が混ざっている感は否めないけれど、仮想現実に雨が降っている様子はパッと想像できないような気がするのだ。

 

 それとは反対に雨が降る仮想現実は、「仮想現実を出来るだけ実在する現実に近づける」事を目的とした研究や開発が行われた時に、完成が目指されるのだろうと思う。現実とほぼ同じ様相を呈する仮想現実。それは果たして何の為に開発されるのだろう。前者とは全く違った目的でそれは開発されているように思える。

 

 仮に、現実と瓜二つの仮想現実が実装されたとして、そこに我々がログインする必要性とはなんだろう。何に迫られて仮想現実へのログインを余儀なくされるんだろう。そして、もしログインしたが最後、どうやってログアウトするのだろう。ログアウトする必要性に迫られる事は果たしてあるのだろうか。そして、果たして我々は、現実とその仮想現実を区別し、それぞれを別の世界と認識することはできるのだろうか。

 

 このような問題が発生してしまう為、我々人間が、完全に思念体として精神世界に閉じ込められる事を目的とした施策でも実施されなければ、その必要に迫られなければ、仮想現実は現実とは似て非なる代物でなければならないのだろうと思う。だからきっと、僕らが想像する仮想現実に、雨が降ることはないだろう。(別に雨という事象以外で差別化を図れば雨が降っていてもなんら問題はないが…)

 

 もしも、雨が降る仮想現実が実装された時は、我々人間が物理的な肉体を捨てて、思念体として一生精神世界で生活する時代がもうすぐそこまで来ているという事なのかもしれない。陰謀論的に言い換えるならば、一部の支配層から我々労働層が思念体として管理される時代が、到来するのかもしれない。

 

〜〜〜

 

 そんな事を考えながら

「そういえば、その企業の選考結果はどうだったの?」

と尋ねてみた。(私は既に彼女の就職先が決まっているという事を知っていたので。)彼女は、

「ああ…、なんか補欠候補みたいなのに回されたらしくてね、最近追い採用?みたいなメールが来たよ。もう別な所に就くこと決めてたから辞退したけどね。企業側としては、もっと現実的な、というか理知的な文章が欲しかったんだろうね、こんな御伽噺みたいな作文じゃなくて。」

と苦笑混じりに答えてくれたのだった。

 

「まあ、もし仮に雨が降る仮想現実が実在するとしても、それはきっと、もっと未来のお話かもね」

と、そう締め括って彼女はこの話を切り上げた。

「もしかしたら、ここがもう仮想現実なのかもしれないけれど」

とは言わなかった。

 

 いつにも増して、中身のない文章になってしまったけれど、個人的には少し面白いお話だったので、簡単に綴っておいた。

 

おわり。