否唯なしに。

否唯なしに。

否唯なしに。

歌が上手い女が雑談をすると、耳が溶けて困る。

 新年一発目は戯れ記事に限る。やっぱり時々クリエイターはふざけないと。そういう遊び心があってこそ、クリエイターは映えると思う。そんなわけで、久しぶりに気分が赴くまま、好きなように筆を走らせてみる。まとまりのないそれになる事は間違いないが目をつぶって勘弁してもらうことにしよう。

 歌が上手い女とカラオケに行くと耳が幸せなのは想像に難くないと思うが、歌が上手い女が雑談をすると、また違った趣がある事を君たちは知っているだろうか。それはもう、自明に理解出来るという、同志の声が聴こえてくる。素晴らしき解釈一致、流石は我が友といったところである。

 「歌が上手い人」という表現の仕方をしたが、正確には各々の琴線に触れる歌声の持ち主と言うことになるだろう。世の中にはどういうわけか、一瞬で魅せられてしまう声の持ち主が存在する。技術とか表現力とかそういう次元の話ではなくて、もはや生理的なレベルでというか、もう直感的に好きだと感じる声があるのだ。心臓を鷲掴みにされてそのまま引きずり込まれるような、そういう感覚でその声に恋をする。ありがたい事に、人間にはそういう経験ができる耳と声帯がある。

 そうして、決まってそういう声の持ち主は歌が上手いのである。なんとなく、全体的に上手なのではなくて、「この歌詞のこの部分の歌い方、聴かせ方がマジでいい」といった具合に、「ここぞ」という推しポイントみたいなものを持っている。もう、そんな神のような声でおうたを歌われたら、それはもう、我々の耳は幸せで溶けてしまうというわけである。

 タイトル回収をしなければならない。最近は配信ツール(サービス)が増えて、数多の歌い手が所謂「うたみた」を自身のチャンネルにアップロードしてくれる、素晴らしい時代となった。VTuberの台頭と共にその傾向は強まり、本職でなくてもそれを供給してくれる頻度が増えたのは非常に喜ばしい限りである。そうして多くの場合、彼女達は「自身のチャンネル」を保有している為、そこで雑談枠を取ってくれたりゲーム配信を企画してくれたりするわけだ。うたみたを聴いて俄ファンになった我々は、少し気になってその配信枠を興味本意で覗きにいってしまう、そういう運命に定められている。そうして我々はあまりの尊さに衝撃を受ける事になる。尊さと言う表現はちょっとそぐわないかもしれない、なんだろう、ある種の感動というか、「ああ、好きな声が喋っているのを聴くのはこんなに素敵な事なのか」と、そういう事に気づかされるわけである。普段格好良く、美しく一曲を歌い上げるその声が、普通に喋っているそれは、それはもう、衝撃的に素晴らしい。言葉通り耳が溶けてしまうと、そういうわけだ。(全然何を言っているのかわからないかもしれないけれど。)筆舌に尽くしがたいというのはこういう事を言うのかと、この文章を書いて思い知ってしまった。一例として配信者のようなケースを挙げたが、別に配信サービスに限らず、ボイスチャットでもライン通話でもリアルタイムでもなんでも、同じ事が言える事はもはや言わずもがなである。

 そんなわけで、これを読んでくれた同志諸君には、今後好きな歌い手の枠は積極的に覗いてみることをオススメして末筆とする事にしよう。まさか、こんな中身のない文章になるとは。普段自分が結構物を考えて文章を書いていたんだなあと、どうでもいい事を思いながら、本記事はアップロードされていく。

 改めて、皆さま本年もどうぞ、みえいをよろしくお願いします。

 

おわり。