否唯なしに。

否唯なしに。

否唯なしに。

ひとでなし興行

 なんでそんなに簡単に人間との縁を切ってしまえるんだろう。こんなにも僕らは弱くておもしろくない生き物なのに。人間関係を形成できるのが、人間関係に依存できるのが、人が人である大きなメリット、みたいな風に思わないんだろうか。

 

 いいやきっと、自分にはこの関係さえあればいいと、意識的に自分の世界のデッドラインを決めつけているのだ、…、かも、しれない。人間関係に永続的な制約はないし、それ単体に保障も保険もない。それなのに、いつまでもそれが不変であると信じ続けて、そしてそれが自分の都合の悪いように変容した時に、裏切られたなどと勘違いしてまたその関係性をフイにするんだ。どうせそんなところだ。

 

 言葉もない。二十余年この意味のわからない人間社会に生きて、まだ気がつくことができないのか。それに気がつかないのはもしかしたら相当恵まれた環境で生きているのか。わからない。少なくとも単一の関係が有限である事くらいは無意識的に解っていそうなものだ。もしそうだとしたら、潜在意識が邪魔して気が付かないフリをしているだけ?、、それかただのエゴか、つまらないプライドか。いずれにしても本当におもしろくない。違和感が仕事をしすぎて気持ち悪い。

 

 不特定多数の人間と関係性を築くことは自分の世界を拡張できるし、濃度も高くなる。もちろん擬似的な保険にもなるし、数を打つことによる経験の積み重ねで難易度の高い選択肢の引き出しをたくさんストックできる。結果的に、最悪から出来るだけ遠い分岐を見つけられる事にも繋がる。デメリットはHPが際限なく持っていかれることくらいじゃないだろうか。そんなもの、自分の裁量でいくらでも調整できるし、調整の仕方が今分からなくても、失敗して痛い目を見ていずれ覚えられるだろう。

 

 彼らはきっと、その労力に対価を支払うことに価値を見出せない。その先にどれだけ多くの財産が眠っているか知らない。そして、人間関係を断ち切る時にどれだけ膨大な負債を抱える事になるか、知らない。わからない。考えたこともないかもしれない。自身の目の届かないところで、その余波の精算を行う人間がいる事を、きっと知らない。だから、それを知りながらそれを決断する時に天秤を反対に傾ける事なんて、できない、できないはずだ。

 

 

 一度、人間をやめてしまえばいいと思う。常識と主観と私情を全部捨てて、一度人間関係を俯瞰して、自分という生き物を取り巻く世界が、どうやって廻っているのか考えた方がいい。そうして、自分にとって人間がいかに大切な存在なのか、なくてはならない存在なのか、そうして、その中で生きている自分の身の振り方をもう一度考え直したらいいと思う。

 

 ひとでなしを経験したことがある人は強い。いつでもその視点を持ちだせるから、何事も、最悪の結果を招く前に軌道修正できる。その気になればいつでも。

 最近違和感がひどくて何が正しいのか、わからない。久しぶりに人間をやめてしまいたくなる。でも残念ながら、今僕の傍には、人間の視点で僕をフォローしてくれる友人がいない。いつでも頼れる人間がいない世界で、人間をやめるなんてしんどい事、今の僕にはできない。こういう時に身近に頼れる人間がいないという現状が、自分が人間関係の構築を疎かにしたツケだと思うと、心底おもしろくないし、嫌気がさすというものだ。暫く人間でいるうちに、過去に築いた人間関係にかまけて適当に生きていたと思うと、本当に腹ただしい。

 

 明日飛行機に飛び乗って、旧友に会いに行こうか。それか、新友を訪ねて、交友を深めるべきか。非常に悩ましい。

 

 後者に協力的な世情が訪れるのはまだだろうか。早く感染症渦が終わって欲しいものである。心底そう思う。

 

P.S. リアルで頼れる人間が近辺に居ないというだけで、電波を通じて知り合った皆々様方にはいつも助けて頂いております。感謝感激雨霰。

 

おわり。