否唯なしに。

否唯なしに。

否唯なしに。

愛想の良い女と付き合いたい。

 愛想の良い女と付き合いたい。題意以上の他意はない。強いて言えば、別に男女を問わず、愛想の良い人間との交錯を渇望している。最近よくそう思う。

 

 ありがたいことに、先月から週5で朝から晩まで働けるようになった。コロナ禍で、且つ定職にもついていなかったここ1年と少しの日々は、ほぼ人と関わることのないひどく面白みのない毎日の連続だった。もちろんネットを通して知り合った人間は沢山いたが、やはりリアルで人間関係を構築しないと生きているという感覚が湧かないものである。

 

 久方ぶりに社会に出て、そして、久方ぶりに人付き合いというものをやってみると、やはりこれがおもしろいもので、人は、人と話すために生きているのだということを感じさせられる毎日だ。上司に仕事を教えてもらうのは有意義だし、先輩にわからないことを聴く度に何故か胸がワクワクする。文章に起すとマジで何を言っているのかわからないが、それほどまでに僕は人付き合いに飢えていたのだろうと思う。

 

 そんなこんなで、人付き合いを再開してから2週間ほどが経過した。僕の今の職場には1つのフロアに様々なジョブが存在しており、直接的に関わらない人間が全体の9割ほど存在する。その人達とは入り口で交錯したり休憩室のテーブルやエレベーターでご一緒したりするだけで、基本的に言葉を交わすことはない。ご時世がご時世だから、進んで喋ろうとする人間は少なく、基本的にその関係は沈黙によって成立している。

 

 でもたまに、その中に笑顔で会釈をしたり、小声で明るく挨拶をする部類の人間が存在する。入り口のドアをおさえた時とか、エレベーターの下座でボタンを押している時とか、あの微妙な空間でそれは起こる。これもまた、文章に起こすとすごい優等生感というか何というか、胡散臭い感じがしてしまうが、大目にみて、邪推せずにそのシーンを思い浮かべて欲しい。本当にナチュラルに、笑顔でコミュニケーションを取ろうとする人間がいるのである。想像には固くないはずだ。でそういう時決まって、ああ、この人、良い人なんだなぁと思う。単純かもしれないけど、表面上の付き合いなら思いつく感想なんて大抵そんなものだろう。そうして、愛想を振りまかれたことに「得した感」を感じる。自身が、相手にとって「愛想を振りまくに値する人間」だと認識されたからである。

 

 そもそも、愛想をふりまける人間というのは人との付き合い方をある程度心得ているわけで、歯に衣着せずに言ってしまえば賢いと思っている。愛想をふりまくことが自身にとってある程度プラスに働くことを理解した上でそれをやっているわけだ、打算的に人との付き合い方を考えているといえる。こういう書き方をすると、純粋に人の良い天使みたいな人間の皆様に申し訳ない気もするが、この血も涙もない地獄みたいな世の中で何十年と生きていられる人間の殆どはそれに該当しないと勝手に思っているので、目を瞑って差し支えないだろう。(どちらにせよそんな天使みたいな人間とは付き合い得だろうし。)

 話を戻すが、最低限それがわかっている人間とは本当に付き合いやすい。当たり前だ、ある程度、人との付き合い方がわかっているわけだから。元から心象はいいし、話もしやすい、多少趣味趣向や価値観が異なっていても問題ない。お互いよろしくやれるのだから、表面上付き合う分には支障をきたさない。だから僕は、基本的に愛想を振りまける人間であればあるほど、基本的には自身が得をすると思っている。もちほんTPOに応じてその価値は変動すると思うけれども。(時にはマイナスになることもあるだろう)

 

 このように、僕は愛想の良い人間への評価が過剰に高い。故に、どうやら愛想の悪い人間に対しての評価が過剰に低いらしい。愛想が悪い人間は、端的に言えばそれを振りまく利点を理解していないか、もしくは自身に対して愛想を振りまく必要はないと考えたかのいずれかである。当たり前だが心象は良くないし、その人と付き合う事に一種の抵抗を感じる。前者の類であれ、後者の類であれ、必要以上に壁を用意して人付き合いを行う事になる。場合によってはいち早く相手が前者が後者か判断する必要が生じてくる事もある。非常に面倒である。前者はともかく、後者の人間と付き合うのは非常に難易度が高いし、下手をすれば此方が損をする事になる。できれば付き合いたくない、突き詰めていけばそう思わざるを得ない。

 

 だから僕は愛想の良い人間と付き合いたい。大人はその差が顕著だから、下振れを引く度に良くそう思う。最も、僕が他人にとって愛想を振りまくほどの人間ではないと評価されている可能性は否定できないが、そこまで人間をやめているようには見えないといいけど、と思うばかりである。平気で無愛想というか、無神経というか、そういう対応を平常運転で行う人間が散見されるから、時々自身が人間認定されていないのではないかと感じるほどだ、と書くほど僕は自身の自己評価は低くないけれど、まぁ、なんとやら。現実世界に限った話ではないけど。いや、本当に。

 

 まぁこういう話は、結論を綺麗にまとめてしまうと真ん中の蛇足が全部要らないことになってしまうので、適当に流しつつ、筆を置いてしまうに限る。

 

 

 

 あーだこーだ書いたけど、結局ふっとした瞬間に笑顔を浮かべられる女はそれだけで推せるよね。もう少しジェンダー論に落とし込んで書いても面白いかとも思ったけど長くなりすぎて気持ち悪くなりそうだからやめた。女の人は笑顔しか勝たん。

 

おわり。