否唯なしに。

否唯なしに。

否唯なしに。

察せる人

 察せる人は、世の中において本当に察する事ができる人は、どうやら少ないらしい。察する能力に長けている人は恐ろしい。僅かな空気の変化や、声色、言葉尻から、あらゆる可能性を察する。そうして他己防衛に奔る。そうしてまた、他の察せる人がそれに気づく。察せる人は常に察せる側で居なければならない。察せる人は辛い。気まぐれに察してみた凡人はもっと辛い。

 

 リアルにルーツがない関係は、何故こんなにも居心地が良いのか。無駄なしがらみに囚われなくて済む。内面と内面との付き合いになる。それが利害関係になりにくい。本質情報がそのまま関係として昇華されるそれは、どうやら僕にとって非常に心地いいものであるらしい。つまり、必要以上に察する能力を問われないという事らしい。

 

 常にリスクを背負いながら、一心不乱に走り続けられる人はすごい。それを見ているだけで、その姿を見ているだけで胸が締め付けられる思いである。燻り続けている自分に嫌気が差すから。それでも、心打たれる彼らのその先を追わずには居られない。そういう人を見て、忘れそうになっている何かを忘れないように、自分の心に繋ぎ止めておく。人間の性。

 

 感情労働に就いている人の対応力には目を見張るものがあるが、接待業のそれには及ばない。それこそ、言葉の選び方は言わずもがな、所作の端々にまでお客様を立てようとする気持ちが宿っている。自然と惹かれる事は間違いないし、対応そのものに感動すら覚えて瞳に涙が浮かぶ。そうして、このような人達が察せる人の最たるそれなのだろうと、ひとり、気まぐれに察してみる。

 

おわり。