否唯なしに。

否唯なしに。

否唯なしに。

否唯なしに。

 以前、ビジネス的共依存について論じた事を覚えているだろうか。あれは、このイカれた社会の中でそれに適合し得ない不良品にとって、古来よりの悲願であった。

 無能について、顧みた事もある。数年前に、人一人縛りつけて苦しめた呪いの言葉であり、また、一人の人としてその存在を存在たらしめた言葉である。

 関係性の変遷について、その儚さを題材に小説を描いた事もある。日々、種々様々な人と出会い、別れ、更新されていくそのネットワークに対して、今も一抹の不安と、際限のない虚無を覚える。

 数年前に比べると、何ら刺激のない、かといって安寧も望めない、打ち込むものが何もない中途半端な生活に嫌気が差して敵わない。しかし、この名前の無い感情を、共有できるイカれた盟友は、もう近くには居ない。

 だから今日も、私はこの白紙の上に文字を落とす。私の綴った文章は、私を反芻し、私を消化し、そしていつの日か、否唯なしに、私の話し相手になるだろう。

 その日の為に、私は今日も、私を描き続ける。

 

ーーーblog開設から間もなく一年が経つ節目に。

みえい/弥永唯 ー2022.6.30