否唯なしに。

否唯なしに。

否唯なしに。

誰かをマネジメントできる能力

 昔から両親には「お前はリーダー向きの人間ではない、副リーダーの方が性に合っている」、と言い聞かせられて来た。そのせいで、と言うにはあまりにも責任転嫁がすぎるが、結局、元来私はリーダー向きの人間ではなく、そういった人種を陰でサポートする能力に長けていると思い込んで生きてきた。

 とはいえ、中学生くらいまでは「人に任せるより自分でやった方が早い」という驕った気持ちが勝り、所謂生徒会役員のようなリーダー的存在を最後まで勤め上げた。高校生の時には、勉強に打ち込むことに楽しさを見出せた為、リーダー的活動への興味が薄れて、自分から率先してそのような活動を行うことはなかった。

 そんなわけで改めて自分はリーダー向きの人間ではないと感じるようになったのは大学生になってからだった。大学で所属した学生団体で自分から進んで、リーダーを務める事を決めた。自分がやった方が早いとか、そういう中途半端な気持ちではなく、何よりその団体に尽くしたい、自分達の代が最高学年を担う一年間をより実りの大きいものにしたいと考えた結果であった。その一年間はあっという間に過ぎて、任期を終えた後にやはり自分はリーダー向きの人間ではないと思ったのであった。別にその一年間の自身の活動がうまくいかなかったわけではない(というか、様々な出来事がありすぎて一言では言い表せないけれど)が、最後まで一生懸命に活動に打ち込んだ上で、リーダーをやるべき人間はもっと他にいると、そう感じたのである。

 それからは、なんとなく漠然と、人を引っ張っていくより、人をサポートしたり、支えたりする方が自分の得意分野だと思うようになり、それから暫く団体活動を行わないまま、今日まで生きてきた。(ここから全然話の方向性が変わるけれど、)そんな折に、あるタレント事務所のマネージャーさんが皆綺麗で可愛いという話を耳に挟んだ。リーダーをサポートする、というのとはまた違う性質のものではあるが、タレントをマネジメントする、一人の人間をサポートするという点で根本的に似たような性質にあるマネージャーという仕事にほんの少しだけ興味が湧いた。自分一人で生きていると、何事もおざなりになってしまい、生活の質がどんどんと落ちていってしまうが「誰か他人の為に」という名目が着くといくらでも労力を払える、頑張れる。自分のことをそういう人間だと精査していたから、「誰かの為に」を仕事にしたら自身の本来の力を引き出して活動できるのかもしれないと思ったからである。(そもそも誰かの為でない仕事なんてないけれど)

 それで、話を少し前に戻すと、その綺麗なマネージャーが沢山いらっしゃるというタレント事務所に所属しているタレントさん本人が、自身のマネージャーに対して、「こんなに綺麗なマネージャーばっかりいるから、うちの事務所はマネージャーを顔で採用しているのかと邪推してしまうよね」と言った冗談の類を口にしたのだと言う。すると、そのマネージャー本人から真剣な眼差しで「自分の事に気を遣えない人間が他人の事に気を遣えるわけないじゃないですか」と、至極真っ当な内容の話をされて、妙に納得してしまったということらしい。

 この話を聴いて、当たり前だが自分自身もひどく納得してしまい、それと同時に、私は他人を直接的にサポートすることには長けていないのかもしれないという事に気づかされた、いや、突きつけられたというわけだった。衝撃的な納得のそれを書き留めておきたくて、文章の整理もままならないまま、今回筆を取るに至った為、特にオチも結末もないが、この文章はこれでおしまいである。

 

おわり。