否唯なしに。

否唯なしに。

否唯なしに。

6年前の芸術家に感動させられた話。

下記引用。曲の歌詞。

きみも悪い人でよかった(ピノキオピー)

https://youtu.be/PLevj9bdRRA

真夜中 街灯を見つめながら
楽しかった会話を 思い出してる
心を開くことは とても怖いはずなのに
きみの前では無邪気に笑えた

くだらない感傷を抱えたまま
煤けた路地裏を歩きつづけた
冷たい雨に打たれ 陽だまりを避けてたのに
きみの手のひらは温かかった

周りには滑稽に見える 青臭い幸せ
瓦礫の中で 強く抱きしめた
まるで初恋のように

夕焼けがきれいで 犬はかわいくて
野暮なニュースに 一緒にむかついて
ダメ映画で笑って バラエティ見て泣いて
はしゃぎまわる 少し寂しい二人がいた
きみもぼくと同じくらい悪い人でよかった


小さな心臓の鼓動が二つ
あてどない革命を夢見ていた
同じ言葉を重ねて 同じ時間を過ごした
違う生き物同士の淡い夢

暗がりで呼吸をしてる ささやかな幸せ
ぬかるみで転んでも 追いかけてく
少年と少女のように

花火がきれいで 夕飯はおいしくて
駄作のストーリー 一緒に紐解いて
罰ゲームで笑って 変な歌で泣いて
くすぐりあう 少し寂しい二人がいた
きみもぼくと同じくらい悪い人でよかった
悪い人でよかった


真面目な顔をしたって
なんか嘘くさくなってさ
いい人になんかなれず
ただ抱きしめた
まるで初恋のように


夕焼けがきれいで 犬はかわいくて
野暮なニュースに 一緒にムカついて
ダメ映画で笑って バラエティ見て泣いて
はしゃぎまわる 少し寂しい二人がいた

時間は有限で 永遠みたいな嘘で
儚い人生の一瞬に きみがいて
つまらない世界を 「つまらないね。」て笑って
肩を寄せ合う 少し寂しい二人がいた
きみもぼくと同じくらい悪い人でよかった
明日もまた 生きていたい 君を好きでよかった

 だいぶ素直な言葉を並べているのに、解釈一致の情景が多すぎる。大体、こういう人間的な細やかな思想とか情景を綴る時って無駄に言葉を綴らないと気が済まないというか、言葉を尽くさないとその絶妙な内容を他人に伝えられないと「僕は」思いがちなのだけれど、この歌詞はそれを適当なワードの選択と羅列によってクリアしているように聴こえた。パズルのピースの形と絵がぴったり合うような感覚。伝わるかな?僕の使っている言葉が欠陥製品で、それを使って神の言葉に言及する事がナンセンスのそれなのは百も承知なのだけれど、久々に鳥肌が立つような感動の感覚を覚えて、筆を取らずには居られなかった。

 

 何故、こんなにこの曲が耳に残ったのだろう。普段、僕が曲を聴く時なんて、最初に聴く曲だけ決めて後はだいたい無作為にYouTubeに適当な選曲を任せているから、そもそも歌詞をそんなに意識して聴く事がないし、大体、対旋律とかパーカッションの使い方に適当な感銘を受けるくらいの感想しか浮かばない。確か最後のラスサビのところで一回曲が終わりそうになってから、急に転調するんだ。そして、それまで単調寄りだったミュージックが一気に壮大な感じで耳に押し寄せてくる。そして、ラスサビの割と早めのタイミングで、途中、一拍無音の部分があって、そこで「なんなんだこの曲は」と感銘を受けた事を覚えている。

 それからもう一度曲を聴き直して、曲のタイトルを確認しに行った。

 

「きみも悪い人でよかった」

 

興味しか湧かなかった。悪い人ってなんだろう。きみ「も」だから、僕も悪い人であるらしい。なんで彼らは悪い人であってよかったと思ったんだろう。そこで一気に引き込まれた。この曲は音楽だけじゃない、歌詞にも、そこに込められたメッセージにも何かあるんだ、そう思った。

 

最近、毎日聴いてる。

歌詞と旋律を噛み締めている。

 

おわり。